五日目の朝のBくん(小1)の挑戦

 早朝、早起きした私が小雨降る中でお釜でご飯を炊くのに、湿気た杉板をナタで割っていた。

 そこに、早起きしたBくんがやってきた。そして言った、「ぼくがする!」と。おそらく前日までの四日間経験者の子どもたちがナタを使う様子や私がナタで薪を割っているのを見て、自分ができると判断してのことであろうと考えた私は、まかせることにした。

 杉板の上部を左手で支えて立たせ、その杉板の上の部分にナタをあてた。左手がナタの刃のすぐ近くに位置していた。私は思わず、「うわあ、その左手、だいじょうぶかな」と、自分の心配を述べ た。彼は考えたのか、その左手の位置を下に落と した。そして、そのまま板とナタが上に持ち上げられ、落ちてきた。板の上端でナタがトントンと踊った。私は「えっ」と驚いた。おそらくこの四日間でナタの使い方を見て過ごしてきたBは、上から振り下ろすときにナタに下向きの力を加えるということが学習されていない可能性が心配された。「やばい」と感じて言おうとしたときには、すでに二投目が振り下ろされた。板の上で一度反動したナタが杉板から外れ、彼の左手に落ちてしまった。板とナタを投げ出して、とっさに左手を押さえるBくん。私も、「だいじょうぶ?」と言いながら近寄ると、彼は左手から右手を外して傷口を見た。人差し指の第二関節と付け根の間の皮膚が、切れてめくれ、その白い皮膚から赤い血がポツポツとにじみ出してきていた。 五日目のナタだから、刃こぼれしていて、スパッと切れるというよりむしろ、刃があたって、その勢いで皮膚が剥けたという感じであった。「うわあ、痛そうだね」と言うと、彼は「ううん、ボク、だいじょうぶ」と言って、医療スタッフのもとへと走り出して行った。

 しばらくすると、傷テープを貼ってもらって戻ってきた。そして再び、割り始めた。先ほどの失敗をものともしていなかった。ただ、私が脇でご飯を炊きながら、その様子を見ているとハラハラするところがなきにしもあらずであった。その思いで、「ここに軍手が あるんだけど?」と伝えると、あっさり「ボク、だいじょうぶ」とのこと。しかし、そうしている間に、もう一度、左手にナタを落としてしまったのだ。再び、「だいじょうぶ?」 とそばに寄ると、その左手には、やはり人差し指にナタの歯形は残っていたものの、切れてはいなかった。「いやあ、危なかったね」と言って、さすがに二回目ともなると、落とし方もへたではなくなっているものだと少々感心してしまった。

 しばらくして気づくと、彼は左手に軍手をはめて薪割りを続けていた。そして、その後やってきた同じ1年生男子Cくんが「ボクもしたい」と言うと、その彼にナタとともに、「これ、これもしといたほうがいいよ」と熱心に軍手を勧めていた。
後から来たCくんはすぐにやめたが、Bくんは根気強く割り続けた。私が二釜分のご 飯を炊き終えて、それらの火を味噌汁用の鍋の下に移したころ、一束の杉板を割ってくれたBくんが、私に向けて言った、「まなぶ」、「なあに」、「オレがこれ割ったの、どうしてかわかる?」と。もちろん、わからないので、「いやあ、わからないなあ。教えてくれる?」と言うと、彼は「オレ、これ、遊びじゃなくて仕事なんだ」と言ったので ある。

 そのことばで、マリア・モンテッソーリの「子どもは自分の成長のための仕事として自分の活動を選択する」というフレーズが頭をよぎった。それとともに、 この薪割りをBくんは自分の成長のための仕事として 自分に課してやり遂げたんだと理解した。私の中にジワッと感動が広がった。そのときは、ただ感動で、何も言えなかった。なんてすてきなBくんだろう、ただそればかりであった。

 後から振り返ると、あのとき、「そう、自分で仕事をうまくやり遂げることができて、とってもうれしそうだね」などと勇気づけできたかもしれない。私にとっては、STEPに出会っていたかどうかちょうどそのあたりの時期で、勇気づけのことばなど、すぐに浮かぶはずもなかったのである。