(1)障害を持って生まれた息子と親としての課題

 息子は、当時流行していた風疹の胎内感染による高度難聴児として生まれてきました。我々夫婦にとっては、障害をもっていても自立できるように育てるためにはどうすればいいか、大きな課題でした。多くの子育て書を読み漁り、“これかも”と思えたのは平井信義氏の書籍でした。

 小学校3年生になった息子は、学校から帰ると、毎日のように泣きました、「自分もみんなと同じようにちゃんと耳が聞こえるようになりたい。話がはっきりできるようになりたい」と。私も、「そうあるといいよね」とともに涙しながら抱きしめることしかできませんでした。障害受容の最初の山場でした。

 上述の平井氏を何回も講演会講師としてお招きし、当時実施されていた「ひらめの合宿」に親子で参加させてもらいました。私はスタッフとして、息子は一参加者としてです。合宿後、息子はそれなりの変化も感じつつ、「何でボクはみんなと違うほかの勉強もしなければならないの?」という息子のことばもありましたので、「そうだよね。今までは親としてこんな経験をしてもらうことが必要と考えてやってきたけど、これはきみの課題だよね。これからは自分で考えてやっていってくれるかい?」と、ゲタを預けました。一時的には成績も落ちたので、先生からは「あまりに早く手を離しすぎたのでは?」といった声もありましたが、まかせると伝えた以上、見守るしかありません。翌年度の「ひらめの合宿」を経験した息子は、その後、障害受容の山場を越えたようでした。正月過ぎには「ファクシミリを買ってくれ」と言い、「どういうこと?」と問うと、「通信教育を始める。それならボクも勉強できそうだし、通信教育のお金はお年玉で払う」と言うので、そうしました。また、5年生になった息子は新担任に、「ボクは耳が良く聞こえないので、口をゆっくりはっきり動かして話をお願いします」とお願いしたとのこと。こうして、一山目を越えたと感じることができました。

 この頃、子どもから親の不十分さを教えてもらうことが多々あったと感じます。

 また、思春期に入り、「自己へのめざめ」を通して生じた二度目の障害受容の山場は、その通信教育の仲間に助けてもらって乗り越えたようでした。